Point 3|菓子屋横丁の再生:観光地化と地元文化の融合

― 観光資源としての「再構築」のプロセスを地理学的に考察

川越を代表する観光地の一つ、「菓子屋横丁」。今では国内外から観光客が訪れる人気スポットとして知られていますが、その始まりは明治時代にまでさかのぼります。当時はまだ観光という概念が浸透していない時代でしたが、ここでは地元の人々が暮らしの中で楽しむ“甘い日常”が育まれていました。駄菓子屋が軒を連ね、地域の子どもたちに笑顔を届ける場所であると同時に、東京方面へと駄菓子を供給する生産拠点としても機能していたのです。
菓子屋横丁
この時期の菓子屋横丁は、まさに地域経済の中心のひとつでした。明治期には10店舗ほどから始まり、大正から昭和初期にかけて需要が急増。戦後の1950年代には約70店舗にまで発展し、活気にあふれる商業通りとして知られるようになります。職人たちは一つひとつの菓子を手作業で作り上げ、素朴な味わいが庶民の暮らしに深く根付いていました。

戦後の変化と衰退の時代
しかし、時代の流れとともに、菓子屋横丁の姿も大きく変わっていきます。高度経済成長期に入ると、大手菓子メーカーの台頭によって駄菓子の大量生産・全国流通が進み、地元の小規模店舗は価格競争で次第に劣勢に立たされていきました。スーパーやコンビニが普及し、子どもたちが駄菓子屋へ通う習慣も薄れていきます。

さらに、1980年代には経済構造の変化とともに多くの店舗が閉店し、「衰退する横丁」と呼ばれるようになります。最盛期には70軒を数えた店舗も、この頃には30軒ほどに減少。通りには人通りも少なくなり、かつての賑わいは影を潜めてしまいました。地域にとって、菓子屋横丁は「懐かしい過去の象徴」として語られる存在となっていったのです。

観光地としての再評価と再生の始まり
転機が訪れたのは1990年代。川越の歴史的な街並みが「小江戸」として再注目されるようになると、菓子屋横丁もまたその一部として観光資源化の動きが始まりました。古き良き昭和の風情を残す通りは、観光客にとって“懐かしさ”を感じる場所として新たな価値を見出されます。

行政や地元商店街、NPO団体などが協力し、横丁の再生プロジェクトが立ち上げられました。古い建物を修復し、昔ながらの木造建築や看板を保存。通りには手作りの飴や駄菓子、手焼きせんべいなど、地域の文化を感じさせる商品が並ぶようになりました。

観光地としての再生が進むにつれ、「子どもたちの遊び場」だった空間が、「大人の心に響くノスタルジーの場所」へと変わっていきます。駄菓子を手に懐かしい思い出に浸る人々、写真を撮る若者、外国人観光客の姿など、多様な人々が集う新たな観光拠点として再び注目を浴びました。

菓子屋横丁の店舗数の推移

1890年(明治期):10店舗程度

1920年(大正〜昭和初期):需要増により店舗数が増加

1950年(戦後):最盛期(約70店舗)

1980年:商業構造の変化や災害で減少(30店舗)

2000年:観光地化により若干回復(40店舗)

2020年:時代の流れにより再び減少傾向(22店舗)現在の菓子屋横丁の店舗はこちらに紹介されています。

このように見ると、菓子屋横丁の歴史は「成長 → 衰退 → 再生」を繰り返してきたことがわかります。これは単なる商業変化ではなく、地域と外部社会の関係性の変化を映す鏡でもあります。

「場の再構築」という地理学的視点
地理学では、こうした現象を「場の再構築(reconstruction of place)」と呼びます。もともと地域住民のための生活空間だった菓子屋横丁が、観光客のための“演出された空間”として再定義される過程です。この再構築によって、空間の価値は「生産の場」から「体験の場」へと転換されました。

店舗の外観や看板には手作り感が残され、レトロな雰囲気をあえて演出することで“消費される景観”が作られています。これは一見すると人工的な演出のように思えますが、その背景には「地域の記憶を残したい」という地元の人々の強い思いがあります。単なる商業主義ではなく、文化を守るための観光化である点に、菓子屋横丁の特異性が見て取れます。

観光と地域文化の両立という課題
ただし、観光地化には光と影があります。観光客の増加に伴い、地元の人々の生活空間としての側面は薄れ、地域文化の“演出化”が進む懸念もあります。実際に、一部の店舗では観光客向けの商品構成が主となり、地元住民の日常利用が減少しています。

この現象は、「文化の消費」と「地域文化の再構築」が交錯する典型的な例といえるでしょう。観光によって地域経済は活性化する一方で、地元文化が本来の形を失う危険性もはらんでいます。したがって、観光開発と文化保全のバランスをいかに取るかが、今後の課題です。

現代に息づく「懐かしさと新しさ」の共存
それでもなお、菓子屋横丁には他の観光地にはない独自の魅力があります。ここは人工的に作られたテーマパークではなく、地域の暮らしと商業の歴史が積み重なってできた「多層的な空間」なのです。

駄菓子を買うという小さな行為を通して、かつての日本の生活文化を体験できる場であり、子どもから大人までが共感できる温かさがあります。通りを歩けば、甘い香りが漂い、手作りの飴を作る音が響く——そこには、今も変わらぬ人の営みが息づいています。

現代都市において求められるのは、こうした「人の記憶を継承する空間」をどう維持していくかという視点です。菓子屋横丁の事例は、観光と文化の共存を模索するうえで、きわめて重要なモデルケースといえるでしょう。
菓子屋横丁