― 観光資源としての「再構築」のプロセスを地理学的に考察
川越の「菓子屋横丁」は、現在では観光スポットとして広く知られていますが、その歴史は明治時代にまで遡ります。かつては地元の子どもたちに親しまれ、東京方面へ駄菓子を供給する拠点として、約70軒以上の菓子屋が並ぶ商業空間でした。庶民の暮らしに根付いたこの通りは、地域経済の重要な一部を担っていたのです。
しかし、戦後のライフスタイルの変化や大手菓子メーカーの台頭により、地元の菓子店は次第に減少。1980年代には「衰退する横丁」として記憶されていました。しかし、1990年代以降、川越が観光都市として再評価される中で、「懐かしさ」や「ノスタルジー」を感じさせる場所として再び注目を集めるようになります。
1890年(明治期):10店舗程度
1920年(大正〜昭和初期):需要増により店舗数が増加
1950年(戦後):最盛期(約70店舗)
1980年:商業構造の変化や災害で減少(30店舗)
2000年:観光地化により若干回復(40店舗)
2020年:時代の流れにより再び減少傾向(22店舗)現在の菓子屋横丁の店舗はこちらに紹介されています。
地理学の視点から見ると、これは「場の再構築(reconstruction of place)」の過程に当たります。もともとは地域の子どもたちや商人たちの生活空間だった菓子屋横丁が、観光客にとっての「消費される景観」として再定義されるプロセスです。
行政や地元団体の働きかけにより、横丁の歴史を活かしたリノベーションが進められ、個性豊かな店舗の看板や手作りの駄菓子、昔ながらの製法や店構えが「文化的魅力」として打ち出されました。その結果、単なる商業空間だった場所が「体験型観光スポット」としての新たな役割を担うようになりました。
一方で、観光地化によって空間のアイデンティティは変化しました。地元の人々にとっては生活の一部だった場所が、訪れる観光客向けの「演出された空間」となり、地域文化の共有や認識のあり方にも変化をもたらしています。これは、「文化の消費」と「地元文化の再構築」が交差する現象と言えるでしょう。
とはいえ、菓子屋横丁には他の観光地にはない独自の魅力があります。それは、単なる観光のために作られた場所ではなく、地域の文化や商業の歴史が積み重なってできた「多層的な空間」であることです。再生を経ても、そこには長年にわたる地域の営みが息づいています。
現代の都市における課題は、観光開発による経済的効果と地域文化の保全・活用をどのように両立させるかという点にあります。菓子屋横丁は、この問いを象徴する場として、地理学的にも重要な考察対象となるのです。